母の日の由来  母の日を祝う行事の誕生は、はるか古代にさかのぼります。さまざまな説があり、 ギリシャ時代、春になるとレアという“神々の母”といわれる女性の神様をたたえる 祭りが行われていたという説などがあります。  現在のように母の日が行われるようになったのは、 20世紀初頭のアメリカで母親思いの女性が起こした行動がきっかけでした。  アンナ、ジャーヴィス(Anna M Jarvis)という女性が、 自分を苦労して育ててくれた母親の命日に追悼の意を表し、 フィラデルフィアの教会で「亡き母をしのぶ」という花言葉の白いカーネーションを 霊前にたくさんたむけ、母親を偲んだというのです。このことが参列者に大きな感動を与え、 全米へと広がっていきました。  これを期に、アンナは支援者と共に母に感謝の気持ちを捧げる休日を作るよう、 議会に呼びかけました。 やがてその声は大統領にまで届き、1914年のアメリカ議会では、5月の第2日曜を 「母の日」と定め、国旗を掲げてお母さんに感謝の意を示すこととなったのです。  こうして、「母の日」は世界中へと広がっていきました。  日本に母の日が伝わったのは、大正時代、当時青山学院の教授だった アレクサンダー女史により紹介され、キリスト教関係の団体が中心になってこれを広めました。  昭和に入り、3月6日の皇后誕生日が母の日となりましたが、 戦後、本家にあわせて現在のかたちになりました。  当時、母性愛を表すカーネーションの赤い花は母が健在なる人、 母が亡くなられた人は白い花を胸に飾り、母への感謝の意を表わしましたが、 業界の提唱もあって次第に母に花を贈るというスタイルになっていきました。  このようにして母の日にカーネーションを贈ることが定番になっていったのです。  そして現在ではカーネーションを贈るという型にはまらず、 自分が贈りたいものや母親が望むものを贈るのが主流になってきているようです。  とはいえ、赤いカーネーションを見ると、なぜだか母親を思い出してしまうもの。  母の日=カーネーションという式は、日本人の脳裏から当分消えることはないのでしょう。 父の日とは…  『母の日』がアメリカ合衆国ではじまったのは、1908年のことでした。(詳しくは母の日由来へ)  母の日ができたことを知ったワシントン州に住む『ジョン・ブルース・ドット夫人』は、 翌1909年「母の日があって父の日が無いのはおかしい。父の日もつくって下さい。」と、 『牧師協会』へ嘆願したのです。それには深い理由があったのでした…。  ドット夫人が小さい頃、お父さん(ウイリアム・ジャクソン・スマート氏)は北軍の軍人でした。  軍隊での階級は""Sergeant""といいますから日本でいう「軍曹」でした。  1861年4月12日南北戦争がおこってしまいました。アメリカの悲劇の時代が始まったのです。  南北戦争が終わったのは1865年4月9日でした。「ドット夫人」のお母さんは、 夫のウイリアム氏が北軍に召されている間、女手一つで働きながら一家を支えてきました。  その為、お母さんはすっかり体をこわしてしまい、お父さんの復員後、間もなく死んでしまいました。  そこからお父さんの苦闘が始まったのです。残された子供達は、男の子5人と女の子が1人でした。  6人の子供達を男手一つで育てるのですから、さぞ大変だったことでしょう。  お父さんは再婚もせず、生涯独身で働き通したそうです。  今日のような豊かなアメリカではなく、 悲劇の時代と言われていた頃のアメリカでしたから、 その苦労は大変だったでしょう。  6人兄弟の末っ子の女の子が「父の日」を申請した「ドット夫人」なのです。  「父の日」をつくって下さい。と末娘が嘆願してから7年後、1916年に『父の日』が  認知されるようになりました。アメリカ合衆国第28代大統領ウイルソン氏の時でした。  そして、1926年、ナショナル ファーザーズ・デイ コミッティがニューヨークで組織され、 1972年(昭和47年)になって、アメリカでは国民の祝日となりました。  『父親を尊敬し、称え祝う日』それが『父の日』なのです。